「ドロップアウト」の意味を手元の辞書で調べ見ると、「社会から脱落すること。また、学校を中途退学すること」とある。学校を中退することは、社会からの脱落と同列に扱われるほど大変なことなのだ。だが高校全入時代といわれる現代の日本では、義務教育の中学校を終えた時点で不登校気味だったり、勉強が嫌いだったりする子どもでも、とりあえず入学できる高校へ進学する。しかし進学者全体の約2%、すなわち50人に1人はドロップアウトしてしまうという。中学卒業者の97%が高校進学する現状を考えると、2%ぐらいこぼれおちる者がいても不思議はないが、問題はその先である。中卒者が金の卵ともてはやされた時代は今や遠く、今の日本では義務教育を終えただけでは、安定した職に就くことは難しいのだ。本作はそんなドロップアウトした生徒たちの受け皿となっている、通信制高校サポート校にスポットを当てたものだ。
教員歴20年の著者は、一般にはまだ十分知られていない通信制高校について、その性格、役割、そのような学校が必要とされる背景、集まってくる生徒たちの気質、課題など、さまざまな側面から分析する。特に、近年中学卒業後の進路として、あえて通信制高校が選ばれるようになっているという変化は面白い。ドロップアウトした者たちの行き着く先、ではなく、積極的に通信制高校で学ぼうという生徒が出てきた理由は、生徒側のニーズにあったフレキシブルなカリキュラムにある。
スポーツや芸術、芸能活動などのプロを目指す「一芸」の持ち主は自分の優先することを無理なく続けることができ、学力不足でただなんとなく高校を辞めてしまった子も、「通学タイプ」の通信制で学校生活を楽しみながら、三年間での卒業を支援するサポート校でアニメーションや声優、デザイン、ファッションにネイルアートなど、将来の進路につながる技能を学ぶことができる。このような、個人の才能や感性に負うところが大きいだけに、規律に縛られた集団的な学校現場では教えられてこなかった分野を、サポート校が請け負っているのだ。生徒のみならず、高校全入により多様化したニーズに応えきれなかった学校側を、サポートしていると言ってよい。
むろん“好き”なだけで成功できるわけではない。が、大切なのは好きを生きるエネルギーに変えていくことだろう。通信制高校には不登校の子や、性同一性障害でどうしても制服を着る事 ができなかった子もやってくる。そこは、普通高校に居場所の無かった子どもたちが、今ある自分を受け入れてもらうことで生き辛さをやわらげ、生きるエネルギーを充填して将来を考える場所でもある。そしてとにかく、高校卒業資格を手にすることはできるのだ。もっとも、普通校よりサポートは手厚いとはいえ、本人の努力と意欲が不可欠なことには変わりがない。安易に通信制に流れてくる子どもたちに釘をさすのも、本作執筆動機のひとつと著者は言う。
人生を旅だと考えると、一直線に目的地まで行きたい子もいれば、途中下車して別の風景を眺めてみたい、という子もいる。著者は挫折や回り道の多かった自身の実体験を交えつつ、途中下車したことで発見できる風景もあることを教えてくれる。どちらが良いかの選択は、本人次第だ。だが、選択肢があると知るだけでも、楽になることがある。人生行きどまり、デッドエンドと思い詰めている者 には、あえてレールを外れてみる勇気も、必要なのかもしれない。
(written by 涼山子)
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『ドロップアウト復活戦 通信制高校・サポート校からの提言』堀切昌美・著ダウンロードページ