若年層の居酒屋離れが著しく、また禁煙に向けた啓発活動も喧しい昨今、本レビューを読まれている方のうち、お酒やタバコを嗜まれる割合はどれほどになるだろうか。かくいう私は、若年層に属しながらももっぱらのビール党で、時代錯誤的な愛煙家でもある。
今回紹介させていただくのは、そのお酒とタバコが多く登場する『檻の中の楽園』というエッセイ。タイトルから内容は想像に易いかもしれない。20代から晩酌をはじめた著者は、やがてアルコールに依存するようになり、周囲の人間に迷惑をかけることもしばしばであった。定年退職後、家族のすすめで、完全な断酒をするべく医療施設に入所する。本作では、医療施設内のまさにその3か月間の生活が描かれている。
著者はこの施設での体験を「夢のようでもあり、現実のことのようにも思える。」(本書3頁『記録』)と述懐している。そこでの生活は、これまでの人生の常識を覆すような驚きの連続であった――ともいう。入所当初からことあるごとに当惑し、喧嘩沙汰や盗難といった多くのトラブルにも巻き込まれる。しかしそうした苛烈な日々を過ごしながらも、筆致に限っては全編にわたり客観的な視点が失われないため、内容は理解しやすく明快である。淡々とした語り口で、施設での個性的な人々との関わり合い、施設に存在する独自の慣習・システム・問題、そして著者自身の心境の移り変わりが、入所者つまりアルコール依存症患者の目線で的確に捉えられている。
特に、タバコにまつわるエピソードの数々は、施設内独自もので興味深い。まず、タバコを所有する者は施設内においては完全に別格扱いだということ。昨日まで敵であった者もタバコの1本でも渡せば笑顔で微笑み、肩を揉んでくれるのだ。「外の世界」と比べ、施設内ではタバコの需要が圧倒的に高く、タバコをもつ者こそが正義なのである。入手経路は様々で、①家族に差し入れてもらう、②他の入所者のタバコを奪う、③こっそりと盗む、④地面に落ちたシケモク(吸い殻)に火をつける、など。また「吸う」という本来の目的以外にも、食べ物などとの物々交換、入所者同士の賭けごとにも使用されており、タバコは施設内で第2の通貨としての役割も果たしている。極めつけは取引価格。1本につき200円という超高値で取引されることもあるという(市場価格の約10倍である)。
話は逸れるが、先日、新聞で老後のアルコール依存症は認知症のリスクが高まるとの情報に接した。それによれば、我が国のアルコールによる社会的損失は4兆円、タバコは5兆円に上るという。個々人としては取り立ててどうということもない嗜みが、合計9兆円規模の損失につながっているとは目が回りそうだが、これはれっきとした事実であり立派な社会問題といえそうだ。また、近年では、アルコール依存に悩む新規患者の4人に1人が65歳以上の高齢者だという。定年退職後、環境の変化により依存症に陥ってしまうことが多いようだ。
こうした世相の一端を、鋭く切り取って内実を見せてくれる『檻の中の楽園』。そこで語られることの多くは、お酒を飲む人、このレビューを読みながら既にお酒を飲みはじめている人はもちろん、お酒を飲まない人にも是非知っていただきたい事実である。本書はこういった“事実”をより現実味のあるものとして提示する。何をも包み隠さず実感を込めて記述された著者自らの体験談が、どのような健康管理の書よりも説得力をもって迫ってくる。このレビューを書き終えたらひとまず一服――と思っていた私は、その衝動をどうにか抑えつつ本書に感謝するほかない。
(written by 石鍋)
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