今をさかのぼること百ウン十年まえ、西洋列強に追いつけ追い越せと、私たちのご先祖様が石にかじりついてでも習得せんと努めたもの、それは英語であった。理由は簡単、新しい学問、芸術、制度といった西洋の文物紹介は、もっぱら英語をもってなされていたからだ。そもそも英語というのは、西洋文明を学ぶという目的を達成するための手段に過ぎなかった。したがって、philosophyは「哲学」、civilizationは「文明」といった具合に、これまで日本になかった新しい概念に相当する和製漢語が造語されるようになると、日本人は英語でなく日本語で西洋人なみの思考が可能になった。まさに和魂洋才のなせる業と言えよう。
一方で、こうした日本固有の精神は時代がくだるにつれ、少々やっかいな事態をも招くこととなってしまった。手段だったはずの英語学習が自己目的化し始めたのだ。その最たるものこそ「受験英語」に他なるまい。複雑な構文を和訳したり、瑣末な文法事項を暗記したりするアレだ。「no more A than B」の構文を「クジラが魚でないのと同じように……」という訳文(だから「クジラの公式」と俗称される)とともに暗誦した者も少なくなかろう。かくいう私もそのひとり。しかも、受験英語には苦しめられたクチだから、ずっとネガティブな印象を抱いてきた。
「ネガティブな印象を抱いてきた」と、過去形で書いたのには理由がある。今回紹介する『インプット重視の英語学習法』に出会い「受験英語、悪くないかも」というスタンスに「転向」したからだ。もちろん、モロ手を挙げて賛成するつもりはない。だが、実用英語を身につけるべく、しかるべき姿勢で受験英語に臨むことは、日本語を母語とする者にとってとても重要なことだと教えられた。大方の人間が抱いている、受験英語と実用英語との間には深い溝があるというイメージはただの偏見、あるいは認識不足による誤謬に過ぎない。受験英語は何より文法を重視する。なるほど、試験にはどうでもよい文法知識を問うてくる設問もある。しかし揺るぎない文法力の涵養という点からすれば、受験英語ほど役に立つものはないのも事実。そして、揺るぎない文法力という土台のないところに実用英語の楼閣など築けるはずがないこともまた事実なのだ。
本書は高校入試にはじまり、大学入試、英検、TOEIC、語学留学と、20年以上にわたって英語を勉強してきた著者の歩みが詳述されている。留学経験あり、英検1級合格、TOEIC900点越えときけば、多くの人が著者のことを英語エリートと考えるに違いない。いや、実際エリートなのだが、その英語道が決して平坦なものではなかった点は注目に値しよう。大学卒業までに英検準1級には合格できなかったし、TOEICも最初は500点台だった。にもかかわらず、上述のような輝かしい栄光を手中に収めることができたのは、社会に出てからも英語への情熱の火をついぞ絶やすことがなかったからだ。これこそ、大学受験時が英語力のピークといわれる多くの日本人と著者との違いだ。時に迷い、時に惑いながら、少しずつ、しかし着実に己の英語道を歩んでゆく著者のひたむきな姿が、歯を食いしばって英語を学んだ明治初期の日本人のそれと重なって見える。
英語を使えるようになりたいけれど、どうしてよいか分からない人、現在の学習方法に限界を感じている人は、ぜひとも本書に目を通してもらいたい。天下り的でない、読者に寄りそうような語り口に、やる気がわいてくることうけあいである。
(written by 海老兄弟)
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