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『與謝野晶子とトルストイ』公式レビュー / 第35回

2016/06/30(木)

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 昨年2015年は終戦から70年目にあたる記念の年だった。同時に安倍内閣が国会に提出した安保法案を巡る議論もあって、日本人が戦争をわが身に引き付けて考える機会も多かった。特に安保法案については、自衛隊の海外での活動範囲の拡大を認めたことから、日本人が戦後はじめて自国民の“戦死”を現実的に考える契機になったのではないかと思う。

 そのような中、歌人・與謝野晶子が日露戦争時に発表した「君死にたまふこと勿れ」を、目にする機会も増えた。日露戦争に従軍した弟の身を案じる姉の気持ちを切々とうたったこの歌は、戦争放棄を標榜する日本国憲法下の日本では、当時の民意を反映する歌として社会科の教科書にも掲載されるようになった。だが、この歌を反戦詩としてのみ神格化するのは、晶子の正当な評価をゆがめる、と本作の著者は言う。「君死にたまふこと勿れ」が雑誌『明星』に掲載された1904年9月に先立つ同年6月、イギリスの新聞「ザ・タイムズ」に掲載されたロシアの文豪トルストイ筆の戦争反対文「日露戦争論」への返歌ではなかったか、という仮説に触発され、その検証を試みたのが本作である。

 定年退職後、母校の大学院で與謝野晶子研究を行っていた著者は、両者の関係を示唆した新聞記事に興味を持ち、当時『東京朝日新聞』と『週刊平民新聞』の両紙に掲載された、「日露戦争論」の訳文を入手。「君死にたまふこと勿れ」及びそれに対する批判に反論した「ひらきぶみ」と突き合わせて、トルストイの影響を洗い出してゆく作業に着手した。圧倒されるばかりの丹念な仕事を通して著者は、「君死にたまふこと勿れ」と「日露戦争論」との関係を浮かび上がらせ、有名な「旅順の城はほろぶとも/ほろびずとても何事か」の一節が単なる厭戦、体制批判ではないことを裏付けようとする。

 国が社会主義者への監視を強めつつあった時代である。「君死にたまふこと勿れ」に対しても、社会主義者との関係をほのめかした非難が浴びせられたが、当の晶子は「平民新聞とやらの人達の御議論などひと言ききて身ぶるひ致し候」(p16)と反駁する。“身震いするほどいや”とはかなり激烈な表現だが、この否定は言論弾圧への防備策のようなものとは次元が異なり、外からの改革よりも内なる覚醒を重んじたからだと著者は言う。「自ら思考せず、権力に身を任し『奴隷として存する』ことへの忌避感の表明、そして、それに気付かず外からの改革をよしとする社会主義者と自己を同一視するものへの痛烈な皮肉」(p33)。それはまさに、レッテル貼りへの嫌悪感である。晶子はトルストイから学んだ「人としての誇り」を支えに、自分に対する安易なレッテル貼りへ反論していくのだ。著者はそれこそが彼女の、評論家としての出発点だったとも述べている。

 著作の後半では晶子が、「女として」「人として」「母として」自分らしくあるために交わした論争の記録が紹介されている。最後の「母性偏重を排す」の中では、敬愛するトルストイの「母性中心説」に対しても「此の説に対して疑惑がある」(p183)と論じる37歳の晶子は、四男五女の母にして堂々たる評論家だ。情熱歌人、反戦詩人というレッテルだけで理解していると、晶子の幅広く奥深い真価を見損なってしまう怖れもあろう。何事につけ、安易なレッテル貼りに安住してしまうことの危険に、私達はもっと敏感でありたい。真実を追究する勇気と信念を持ち続けた著者に称賛を送りたくなる一冊であった。

(written by 相子)


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