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『草の根を生きる』公式レビュー / 第40回

2016/11/22(火)

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 かの与謝野晶子は、『恋』という詩の中で、自らの恋を「小さき塔」と表現し、その「無極の塔」の至高を目指す営為こそ「恋」であると断言した。何とも美しく、情熱溢れる一節であるが、彼女に限らず、古今東西数多くの人々が恋愛に関する作品をジャンル問わず残している。いわゆる百人一首では相聞歌が約半数を占め、中世の吟遊詩人(トルバドゥール)が語り紡いだ恋愛詩は、宮廷風恋愛の流行をもたらす旋風でもあった。そして現在に至るまで語り尽くされることなく、多様な愛の形が象られている。

 『草の根を生きる』は、本田耕太郎・本田秀子両氏の書簡、詩、俳句、エッセイがまとめられたものだ。前半部は〈本田耕太郎作品集〉として、彼が綴った手紙と詩とが配され、それらは全て秀子氏への鮮烈なる愛を言語化しようとしたもの、有り体に言えば“ラブレター”である。一方、後半部の〈本田秀子作品集〉は114句の俳句集と散文的エッセイから構成されている。こと前半部の耕太郎氏による秀子氏宛の書簡が何とも心憎い。その瑞々しさは、決して生熟れの類ではなく、至純な愛情が言葉に結実したものであることが通読するとわかってくる。

だが、四十男が毎回愛している、好きだあ!って言うことができないのである。御理解願いたい処である。
(本田耕太郎作品集 書簡 三)

 少々諌めるように、あるいはほとほと困ったようにして発せられたこの一文に、彼の心中の複雑さが窺える。おそらく二人の出会いは青年期も過ぎた壮年期の頃だ。

男たる者、齢四十ともなれば、女性の心情なるもの、如何なるものかは、それなりに理解し、体験しているつもりであったが、見事にそれは打ちくだかれた。
(本田耕太郎作品集 芸術品)

 まるで初恋のような愛の実感は、耕太郎氏を詩人にした。収録された三つの書簡には、自分を良く見せたいだとか、美文をしたためたいだとか、もちろん人目にさらされるなど露ほども考えていないであろう本心がありありと観取される。そして図らずも、詩情を連れているところに妙味がある。はたまた、全てを想定して、練りに練ったとみるのもまた微笑ましい。

(内緒の秘密な手紙)
一読后、即、焼却乞う。
(本田耕太郎作品集 書簡 二)

 このようにして厳重に銘打たれた文章を繙くことで、ちょっとした気恥ずかしさとときめきを受け取ることができるのも、本書の魅力の一つといえよう。私秘的な言葉のやりとりに見え隠れする、二人の時間。そして、秀子氏の言葉から明かされる、二人の現在。

一人居も慣れし晩秋ワイン酌む
(本田秀子作品集 俳句集)

 甘やかな“ラブレター”のやりとりを経て、二人は結婚、一女をもうけたようだが、惜しくも耕太郎氏は逝去されたようだ。しかしながら、瑞々しい愛の言問いは、消えることなく残響する。沈黙の裡にある数十年間に、むしろ今なお、綴り得ぬ愛の書簡が行き交っていると信じずにはいられないのだ。永遠の相聞があるのではないか――そう、信じたくなるのである。

露の命と先を急いだあなたへ
花に恋うる合歓の葉のように
あなたに、
いまだ寄り添うように生きています。
(本田秀子作品集 合歓の花へ)

 耕太郎氏からの書簡の返信の代わりに収録された秀子氏の作品もやはり、耕太郎氏の想いに応えるものに相違ない。二人が築く「無極の塔」が象られたような本作から、彼らの「恋」が何ものか、想像してみるというのもいいだろう。翻って、自らの「恋」を顧みるきっかけとみるのもいい。
 愛する者に残せるものの一つに“ラブレター”があることを、私は本作を通じて知った。そうして、自問してみる。「わが恋を如何に答へん」と。

(written by 陸冬)


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