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『730日のうまれかわり 生体肝移植で得た愛と希望 』公式レビュー / 第10回

2015/02/25(水)

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 「原発性胆汁性肝硬変」という難病により、一時は命が危ぶまれた女性が、最愛の夫から生体肝移植を受け、見事に回復を果たすまでを記録したドキュメント。その克明な記述からは、現代の先端医学をもってしても完治の難しい病魔との闘い、また唯一の有効治療ともいえる「移植手術」の実態が浮かびあがる。

 本書の著者が「原発性胆汁性肝硬変」を発症する1995年からさかのぼること6年前の1989年11月、島根医科大学(現・島根大学医学部)で日本で最初の生体肝移植手術が行わた。胆道閉鎖症の赤ちゃんに、お父さんから提供された肝臓の一部を移植するという画期的なオペは、当時大々的に報道もされた。しかしそんな世紀の大手術も、いまでは日本国内だけで年間4~500例(累計では約6000例)行われており、累積5年生存率*も80%を超えるという。
(*5年生存率:移植してから5年以上、生存している割合。)

 だが、そうした統計的な数字が示す優れた成績と、罹病者当人の安心感とは、当然ながら必ずしも符合しない。その狭間にある谷の深さや広さを、本書は患者という立場において描いている。

 小康状態を維持したおよそ13年を経て、著者の橋詰妙子さんは大学病院への入院を決意する。ある日の検査の結果、血液の状態がすでに余命3か月の値を示し、移植手術の成功・失敗以前に、もうそれしか生きる術はない状況にまで至っていたからだ。あまりの症候に、医師のあいだでも「もう余命を大切に生きてもらおう」と、移植手術中止の決定がなされるすんでのところのデッドラインであった。

 移植が決まれば次はドナー探しとなる。通常であれば大きな壁だ。だがこの難題を、著者・妙子さんは一瞬で越えてゆく。夫の正明さんが、自らの肝臓の提供を快諾するのである。病院側の「ご主人がドナーでいきましょうか?」の提案を躊躇いなく受け入れ、またその後も自分の意志として貫いてゆくさまに、病院のスタッフさえ驚くほどだったという。ドナー表明時にはボリュームが少し足りないと言われた正明さんの肝臓は、禁酒禁煙、規則正しい生活と節制に努めることで、いざ手術の際には「最高でしたよ」と主治医が喜ぶほどのベストな状態となった。

 さらに妙子さんの周りでは、ふたりの娘をはじめ誰もが夫婦二人の意志に心を添える。義母(正明さんの実母)は息子の「肝臓提供」の選択を、実子と同じく迷わず全力で応援する。初期の検査を受けた地元の病院でも手術を受けた大学病院でも、橋詰夫妻はスタッフを全面的に信頼し、逆に病院スタッフはそれに全力で応えてゆく。手術前、主治医は保育士である妙子さんに言う。「この子たちに先生を返してあげないとね」。

 本書は闘病を描いたドキュメントであるいっぽう、人と人との「絆」を描いたヒューマンな一冊として読者のもとに届く。そして、その温もりに触れた者は自戒の念をもって思うのである。果たして自分やその家族は、医療スタッフから「なんとしても治してあげたい」と思ってもらえる存在だろうか。“医療はサービス業”などとうそぶき、「患者様」の立場に安住してはいないだろうか。

 医療者と患者。ともに病と闘う者同士、互いに「絆」を培う努力を怠ってはいけない──。そう教えてくれる橋詰夫妻の物語。その「絆」こそが、医学の統計的な成績と患者の心理との狭間にある谷に、一本の橋を渡すのかもしれない。

(written by 海洋)


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