よく知る人も全然知らない人もいるだろうが、「濃姫」とは実在の人物。かの織田信長の正妻である。しかし、多くの名だたる武将、大名の奥方たちがくっきりとその存在を歴史に残しているのに比べ、日本史上の一等星というべき信長の妻であるのに、どこを見ても濃姫の姿はぼんやりとかすんでいる。わかっているのは、美濃の蝮と呼ばれた斎藤道三の娘で、13、4歳で信長に嫁いだこと、それだけ。実在の人物なのかと疑いたくなるほどだが、どうもいたのは本当の様子。
――すると…と、今度は別の思いが湧いてきた。信長の妻という隠れようもない立場でありながら、その姿を歴史の表に表さない濃姫というのは、もしや逆に、類のない才たけた女性であったのかもしれない――
うーん。想像力を刺激するおいそれとはいない姫様のような気がしてきたが、実際、『濃姫春秋』の作者山本氏も、この信長の正室の謎めいた存在性に心奪われたのだろう。本書のヒロイン濃姫は、入念な彫琢によって光輝いた山本氏の夢と想像の産物ではあるが、こんな女性が、魔王のごとき信長の妻であったらと思い描くと、遠い歴史上の出来事がにわかに息づき、“史実”という枷がカタカタと外れて空想の翼が限りなく飛翔していくようではないか。
上下巻合わせると1000ページにも及ぶ大長編、その容量を前にしてはためらう向きもあるかもしれない。しかし、ためらいは無用と申し上げたい。本書の弛まぬ牽引力は、作者のストーリーテリング、プラス圧倒的な濃姫愛のなせるもので、1ページたりと退屈しなかった。それにしても、ヒロインの存在感がこれほど抜きん出た小説というのはあまり例がないと思う。個性的なヒロインであればあるほど、好敵手たりうるヒーローなくしては物語のバランスは心許なくなりもする。ところが、本書の濃姫に対する織田信長は、その天才ぶりは垣間見えるものの、どちらかというと濃姫に翻弄される引き立て役の感が強い。だが、それでバランスが崩れたかといえばそんなことは全くなく、濃姫の輝きが一層燦然と際立っている。
思うに作者は、濃姫というヒロインに、戦乱渦巻く烈しい世にあって、その悲惨も怨念も浄化し未来へ導くような、いわば観世音菩薩的資質を与えたのではないか。老いを知らない女神のような美しさ、溢れるほど豊かな母性、地獄の使いのごとき荒馬を乗りこなす勇ましさ、ただひとり戦局を読み勝利への布陣を敷く明晰さ。そのどれひとつ取っても現実離れしているのに、全て具えているとなるともはや突拍子もないとしかいえないのだが、作者はありったけの夢と理想を詰め込み想像力を駆使して、濃姫を突拍子もなく魅惑的な女性像として仕立てあげたのだ。手が届くと思えばこそ嫉妬も憎しみも生まれるが、天高い綺羅星には魅了されるばかり。織田信長のみならず、豊臣秀吉、明智光秀、徳川家康も然り。本書の濃姫はそういうヒロインなのだ。
信長に話を戻すと、群雄割拠した戦国の世の風雲児は、濃姫を引き立てる役どころに甘んじはしたが、決して役不足ではなかった。本能寺の変で信長を失った濃姫は悲嘆に暮れ、生きる気力を失う。濃姫にとっての信長の存在の大きさがここに描かれる。忠実な側近に支えられ、己を取り戻して、信長が天下布武を掲げ統一を目指した世の行く末を見定めようと決意した濃姫。長い孤高の日々ののち、命の終りの夢うつつで、濃姫は愛馬黒龍を駆り、かつてなそうとしてなせなかったことを果たす――
かくして、戦乱の時代に不変の夢を描き続けた夫婦の魂は昇華し、壮大な物語は幕を下ろす。
(written by 江藤)
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